音楽を身近に 青木タイセイ その日色々

トロンボーン 鍵盤ハモニカ奏者 青木タイセイのブログ

ピットイン40周年を迎えて

なにはともあれ、40周年おめでとうございます!
ピットイン40周年のコンサート、初日の雪が降った21日に大友良英さんONJO+カヒミカリィ+菊地成孔で出演。
大変多くの懐かしい人に、会えた。
なんだか嬉しい一日となった。
私がピットインに出演しはじめてからは20年弱かな。まだ、伊勢丹の裏に店が在って、朝の部、昼の部、夜の部と一日に3セットも入れ替えでライブが行われていた。その当時は朝の部は山元恭介さンのバンドと、夜の部の広木光一さんのバンドとかに出演していた。朝の部に出演すると、前日の夜の部で酔いつぶれて控え室で寝ている誰かによく遭遇したものだ。
朝の部出演の際、駐車場代をうかすために、というか、駐車場に入れる余裕もなかったので、警察のチェックにヒヤヒヤしながらライブをするのを避けるため前日の夜中に機材を入れさせてもらうことがしばしばあった。そうして、前日に機材を預けに来た夜中のある日、夜中のピットインのステージでベースとドラムを囲んで管楽器が半円になりながらがリハーサルをしていた。渋谷毅さんのオーケストラである。あの時のウッドベースを持っていた人が山のように見えた。故川端民夫さん。物音をたてないようにこっそりと機材をおかせてもらったつもりだったが、一人のサックス奏者がギロリとこちらを振り向いた。忘れもしない、あのギロリは故武田和命さんであった。
朝の部に菊地という名前のピアニストとサックス奏者がいる、とんでもない逸話が多いバンドがあった。ある日留守電にメッセージが「あーもしもし、青木さんですか?いやーついにソ連が崩壊しましたねぇ-。○月×日朝の部空いてませんか?」
○月×日はたまたま空いてなかったのでそのバンドに参加することにはならなかった。その後、NYのツインタワーが崩落したあたりの頃、その人のプロジェクトに参加することになった。DCPRG

ピットインではないが、アケタの店で確か山元恭介さんのバンドだったと思う、ゲストに、全く音程の出ない手作りのいろんなものがついているスタインバーガー状の四角いギターらしいものをもった若い人(に見えた)がやってきた。その人にもらった譜面は楽譜では無く四角とか渦巻きとか、記号のような絵がかいてあり、これを見て、演奏して下さいと言われた。驚いた、しかし、なんか、面白かった。今、その人のバンドでピットインの40周年を迎えることになった。
ジャズも何も知らない吹奏楽族の頃、FMから流れるバスクラリネットとピアノのなんだか分からない凄い音楽に遭った。その時は演奏者の名前が確認できなかったが邦人のフリージャズという音楽らしい。心の奥深くにしっかり何かが刺さった。おそらくあの方がたの演奏だったと思う。その刺さったものが、先日のコンサートに出演する運命に導いたに違い無いと思う。
ピットインが新しくなって、店長さんが同世代になり朝の部がなくなり、控え室で宿泊する人もいなくなった。いつしか、自分がリーダーのバンドが出演するようにもなっていた。
まだ、最近になっても、新しい音楽に直接、遭遇する、こともある、新宿ピットイン。
50周年が楽しみだ。